黒の浸透 静寂(2)

 首都ロドニーの下町、サイドエンドにある西の玄関ともいうべきウエスト通り。
 城周辺の町とは違い、他国や他町からの旅行客、出稼ぎに来ている人たちが行き交うここは、庶 民の町といった雰囲気が出ていて、とても活気が溢れている。
 そこに建ち並ぶ店の一つにカフェ・ブラウンがある。
 店内はカウンターにテーブルが数個と、人が一五人も入れば埋まってしまう程の広さではあった が、テラス席を含めれば二〇人の客を迎え入れることが出来た。
 カフェはフォリス国では主流の店の一つで、大きな町には大抵、存在する。中でも、首都ロドニー は大都市ゆえに一件や二件ではなく、数十件にも及ぶ。
 それでも、客足の途絶えないカフェ・ブラウンは西からの旅人が、一息付くのに適した場所にある せいかもしれない。

 ライルが木々の中にある平地で立ち尽くし、アルバートが次の講義に向かって走り出していたそ の頃、シルビアはそのカフェ・ブラウンで七度目の同じ時を過ごしていた――

「ありがとうございます!」
 シルビアの声が店内をこだまする。
 朝から客が増えては減りを繰り返していたが、一人も居なくなることはなかった。
 ようやく、静まり返った店内は、店主であるマリーが皿を洗う音だけが響いている。
 シルビアはさっき出て行った客が使った皿やカップを回収するため、壁際のテーブルに向かった。
「今日はいつもよりお客が多かったようだね!」
 マリーに話しかけられ、一瞬、びくついたシルビアだったが皿を回収する手を休めない。
「そうですね。お客さんが多いのもこの店が繁盛している証ですよ」
「ふふふっ。うれしいことを言ってくれるね、シルビアは」
「本当のことですから。……でも、最近やけに多いですね、お客さん。何かあるんですかね?」
 シルビアは客の忘れていった新聞を、エプロンのポケットに入れながら言った。
「もう直だからかな……」
 意味ありげなマリーの返答に、シルビアは振り返った。
「何がですか?」
「知らないのかい? 建国記念日だよ」
 建国記念日。
 知らないわけがない。私だってそれぐらい知っている。
 建国記念日だからといって、特別に祝うこともなかったけど……
  「知ってますよ」
 シルビアは何気ない返事をしながら、皿をカウンターに持っていった。
 マリーはシルビアの顔を覗き込み、笑いながら言う。
「それは知らないって顔だな。ロドニーはフォリス国の首都だからね。そんじょそこらの町とは違い、 盛大に祝うんだよ」
「じゃあ、それでお客さんの数が増えてたんですか」
 ようやく理解し、頷くようにシルビアが答えた途端、マリーが大きな声を出した。
「いらっしゃい!」
 マリーの視線の先を見れば、旅姿の、夫婦らしき男女がドアの前に立っていた。
 どうやら、また客が来たようで、シルビアが客の対応をしようとしたところ、マリーが止めた。
「今日はもうあがっていいよ。いつもより長く手伝わせちゃって悪かったね。シルビアがいてくれて 助かったよ」
「いえ。じゃあ、先にあがらせてもらいます」
 シルビアは軽く礼をするなり、カウンターを通り、二階にある仮の自分の部屋に掛けていった。
 部屋に入ると、相変わらず綺麗に咲き続ける一輪の赤い花が目に入る。
 シルビアの仮の住まいとなっている部屋は、一週間程前にシルビアが目覚めたマリーの家の一室だ った。
 シルビアは眠い目を擦りながら、着けていたエプロンをベットに置いた。
 それと同時に、軽い物が床に落ちる音がする。
 見てみると、今日の日付が記された紙だった。

 またもや窃盗、ロドニー、センターエンド町で被害集中!
 一二日夜〇時過ぎ、ダイン・アルバレス伯爵宅にて黒ずくめの――

 今年の建国記念日、女王は顔を見せないのか?
 一五日に行われる首都ロドニーきっての大祭典で、病気とも噂される――

 首都を中心に、何者かに押し倒される事件続出
 ラナ町やハレ町でも、被害を訴える人々が後を絶たない――

 カミール町で火事!
 一二日、カミール町役場が突然、火に覆われ――

 シルビアは読んでいた紙から、ふと、目を離し、部屋の隅に束のように重ねられた同じ紙を見 ながら”またやってしまった”と思った。
 マリーに言われても、噂にさえされなくても、警察の情報に挙がらなくても、誰が何と言っても、 シルビアは自分の住んでいた町が存在してたということを信じたかった。マリスやクロードがこの世 に存在していたということを信じたかった。
 マリーに家に来るように言われてから、シルビアは町中を駆けずり回った。
 新聞社、図書館、探偵屋、旅人、そして、クロードが働いていたはずの大学……
 そのどれもが口を合わせたように、フォグ町の事を聞けば「知らない」「聞いたことがない」と答 え、殺人のことも何も取り合ってくれなかった。
 噂は伝染病のように、大きく広まっていく。
 それが、例え大都市であっても――
 貴族の町と言われるセンターエンドでは一つの噂もたっていなかったが、確実に、庶民の町と言わ れるサイドエンドでは広まりつつあった。
 数日も経たない間に、人々の視線が痛くなったことにシルビアは気づいた。
 これまで住んでいた場所を知らないと言うのだから、帰る場所がないのも当然なのだ。
 このことは結果として、マリーの優しさに甘えるしかないことを物語っていた。
 そして、甘え続けるのならば、カフェという客商売の妨げになるような噂はたてない方が良い。
 いや、たててはいけないのだ。
 だから……
 噂がたち始めた頃、シルビアはぱたりと足を止めた。
 調べるのをやめ、マリーにも町のこと、家族のことを語らなくなっていた。
 それでも本心は、見せ掛けの感情を超えるものなのか、無意識の動作、癖となって表れていた。
 それが部屋の片隅にある紙の束、シルビアが今、手にしている紙、新聞。
 カフェは人々がくつろぐ空間。
 コーヒーや紅茶を飲みながら、新聞を読む客は多い。
 読み終わり捨てる気持ちで置いていくのか、忘れていくのかは分からないが、客が店を出て行った 後、皿やカップと一緒に残されていることも多かった。
 シルビアは、目に付いた新聞はマリーに気づかれない程度に部屋に持ち寄り、町について何か載っ ていないか探す。
 探している途中で、我に返り、何をやっているのかと自分を責める。
 その繰り返しを、日々過ごしていたのだ。