黒の浸透 静寂(1)
木々の中にあって、少し開けた小高い場所。
時折、空を鳥が羽ばたく音が聞こえるが、人気のないここは、風さえも吹かず静まり返っている。
そのためか、青年の、後ろで一つに束ねられた癖のある金の髪の一本も、揺れることはない。
彼、ライル・ヒューイッシュは一週間程、この場に通いつめ、歩き回ったり、座ったり、立ち尽 くしたり、そればかりを繰り返していた。
外から見れば「こんな所で何をしているのか?」と、質問されることは間違いないだろう。
もし、人がいればの話だが……。
ライルは、足に絡みついた雑草を振り払いながら、目前の景色を見ていた。
その青い瞳に映るものは、あの時とは違い、誰の目から見ても同じ、何の変哲もない雑木林と、 その間に見える緑の平地だけだけだった。
ライルは右腕に巻きつけられたロザリオを握り締めた。
神にでも……神にでも、成り代ったつもりか?
こんなにも、手の込んだことは今までになかった。
やつらは、何を企んでいる?
今回ばかりは、こんな俺でも嫌な予感ってものを感じずにはいられない。
それにあの少女……
もし、人間だとしたら……俺は何の為に戦ってきたんだ?
人を殺すためじゃない。
守るためだというのに――
「やっぱり、ここに居たんですね!」
声がして、横を見ると短い茶色の髪をした見慣れた青年が立っていた。
「なんだ。アルバート、今日は講義があるんじゃなかったのか?」
「わかりませんか?」
アルバートは眼鏡の奥の茶色い瞳を輝かせながら、両手を少し上に上げて見せた。
ようく見れば、アルバートの体全体が透け、後ろの背景が映し出されていた。
「実体じゃないってわけか。……にしても、本体が誰かに見られたら不味くないのか?」
「ああ、大丈夫ですよ。一応、部屋には鍵を掛けてありますし、見られたとしても”ちょっと眠っ ていました”とか言っておけばいいんじゃないですか」
「そんなんでまかり通るはずがないだろ」と言いたいのをライルは呑み込み、話す。
「そこまでして、わざわざ俺に会いに来たということは、大事な用か?」
今まで、にやついていたアルバートの表情が次第に、硬くなっていった。
「ライルさん。世の中に、姿形が同じ人間っていると思いますか?」
「急に何を言い出すんだ?」
「真剣に訊いてるんですから、答えてくださいよ!」
ライルはアルバートの顔を覗き込みながら答える。
「まあ、世間には自分以外に、自分に似た人間はもう一人いるって言うからな。似た人間はいると 思うが、完全に同じ容姿の人間はいないんじゃないか?」
「そうですよね。僕もそう思っていたんですが……何度見ても瓜二つなんですよね」
「アルバートは同じ人物を見たんだ? じゃあ、その人、本人なんじゃないのか。話しかけてみれ ば?」
「それが既に亡くなった人ですし、話しかけようとしたら見失っちゃって」
ライルは溜め息をつきながら言う。
「じゃあ、幽霊だな」
アルバートはライルを少しにらんだ。
「幽霊と人間の区別ぐらいつきますから。そんな、投げやりな返答しないでください」
「はい、はい」
「僕が彼女に擦れ違った時、肩に触れたので肉体を持っていることは確かです。問題の容姿なんで すが、ライルさんも会ったことありますよ。十年ぐらい前に。”無数の銃で打ち抜かれた男性と、と てもきれいな状態の女性の死体”と言えば、思い出すと思うのですが」
「ああ。その事件なら覚えているよ。やつらの気配はなかったが、精気のない死体だけが残っていた 。あんな傷のない死体を見たのは初めてだったからな」
「その女性だったんですよ。最近、見かける彼女は」
ライルはアルバートの方を振り向いた。
「もしかして、やつらと関係があるかもしれないということか?」
「気配は感じませんでしたが、気になるので調査をお願いしたいと思いまして……」
「自分でも調べられるだろう」
「すいません。最近、ライルさんと副業ばかりしていたもので、本業のこちらが疎かになっていて。 論文が溜まってるんですよね。暇をみて、僕も彼女を追ってみますので、お願いします」
アルバートはお願いするように手を合わせて言った。
「おい、こっちが本業だろ! まったく、今日の一針、明日の十針っていうからな。調べておくか。 最近、やけに静かだしな」
ライルの言葉に反応したのか、アルバートは不意に合わせていた手を下ろし、ライルを見た。
「ライルさん……」
「なんだ?」
「あまり、気を落とさないほうがいいですよ。ここに来ていたのも、あの少女のことが気になって ですよね? あの状況ではどうしようもなかったのかもしれません。やつらを退治してから、この 辺りで行方不明者は出なくなりましたし……」
「そうだな」
「では、僕はもう、そろそろ失礼しますね。次の講義も始まりそうですし……」
アルバートはライルの素っ気ない返事を聞いてか、そそくさと逃げるように消えていった。
確かに出なくなった
ここだけではなく、他の場所でも
そして、現れた女性……
やけに、静かになり過ぎではないのか?
アルバートはこの静けさに気づいて、俺に知らせてきたのか?
それとも、俺の考えすぎか
とにかく、このまま何も起こらなければそれでいい
ライルは一部分だけ、綺麗に生え揃った草花を見ながら、「行方不明者は出なくなった……」と言 ったアルバートの言葉を思い返していた。
――
首都ロドニーの北側に、木々に隠れるよう存在するフォリス国立大学。
そこの第三棟の5階にある神学部神学科研究室。
顔を埋めるように、机の上にうつ伏せになっていた頭をアルバートはゆっくりと起こした。
少し長く、幻影でいすぎましたかね?
そう思いつつ、まだすっきりしない頭を急激に覚ますため、両腕を天井に思い切り上げ、伸びを した。
そして、後ろにある大きな窓から町を眺めた。
ライルさんは、気づいていないかもしれませんが……
あの時、歪んだ空間から抜け出そうとしていたあの時、一瞬だけ強い光の力を感じました
十年ぐらい前に起きた奇怪な事件の時と同じように――
僕は胸騒ぎがして仕方ありません
ふと、大学全体に鳴り響く乾いた鐘の音がアルバートの耳に入る。
アルバートはベストのポケットから時計を取り出して見ると、針は三時を回っていた。
慌てて机の上に散らばっていた教材を掻き集め、次の講義に向かってアルバートは走っていった。
時折、空を鳥が羽ばたく音が聞こえるが、人気のないここは、風さえも吹かず静まり返っている。
そのためか、青年の、後ろで一つに束ねられた癖のある金の髪の一本も、揺れることはない。
彼、ライル・ヒューイッシュは一週間程、この場に通いつめ、歩き回ったり、座ったり、立ち尽 くしたり、そればかりを繰り返していた。
外から見れば「こんな所で何をしているのか?」と、質問されることは間違いないだろう。
もし、人がいればの話だが……。
ライルは、足に絡みついた雑草を振り払いながら、目前の景色を見ていた。
その青い瞳に映るものは、あの時とは違い、誰の目から見ても同じ、何の変哲もない雑木林と、 その間に見える緑の平地だけだけだった。
ライルは右腕に巻きつけられたロザリオを握り締めた。
神にでも……神にでも、成り代ったつもりか?
こんなにも、手の込んだことは今までになかった。
やつらは、何を企んでいる?
今回ばかりは、こんな俺でも嫌な予感ってものを感じずにはいられない。
それにあの少女……
もし、人間だとしたら……俺は何の為に戦ってきたんだ?
人を殺すためじゃない。
守るためだというのに――
「やっぱり、ここに居たんですね!」
声がして、横を見ると短い茶色の髪をした見慣れた青年が立っていた。
「なんだ。アルバート、今日は講義があるんじゃなかったのか?」
「わかりませんか?」
アルバートは眼鏡の奥の茶色い瞳を輝かせながら、両手を少し上に上げて見せた。
ようく見れば、アルバートの体全体が透け、後ろの背景が映し出されていた。
「実体じゃないってわけか。……にしても、本体が誰かに見られたら不味くないのか?」
「ああ、大丈夫ですよ。一応、部屋には鍵を掛けてありますし、見られたとしても”ちょっと眠っ ていました”とか言っておけばいいんじゃないですか」
「そんなんでまかり通るはずがないだろ」と言いたいのをライルは呑み込み、話す。
「そこまでして、わざわざ俺に会いに来たということは、大事な用か?」
今まで、にやついていたアルバートの表情が次第に、硬くなっていった。
「ライルさん。世の中に、姿形が同じ人間っていると思いますか?」
「急に何を言い出すんだ?」
「真剣に訊いてるんですから、答えてくださいよ!」
ライルはアルバートの顔を覗き込みながら答える。
「まあ、世間には自分以外に、自分に似た人間はもう一人いるって言うからな。似た人間はいると 思うが、完全に同じ容姿の人間はいないんじゃないか?」
「そうですよね。僕もそう思っていたんですが……何度見ても瓜二つなんですよね」
「アルバートは同じ人物を見たんだ? じゃあ、その人、本人なんじゃないのか。話しかけてみれ ば?」
「それが既に亡くなった人ですし、話しかけようとしたら見失っちゃって」
ライルは溜め息をつきながら言う。
「じゃあ、幽霊だな」
アルバートはライルを少しにらんだ。
「幽霊と人間の区別ぐらいつきますから。そんな、投げやりな返答しないでください」
「はい、はい」
「僕が彼女に擦れ違った時、肩に触れたので肉体を持っていることは確かです。問題の容姿なんで すが、ライルさんも会ったことありますよ。十年ぐらい前に。”無数の銃で打ち抜かれた男性と、と てもきれいな状態の女性の死体”と言えば、思い出すと思うのですが」
「ああ。その事件なら覚えているよ。やつらの気配はなかったが、精気のない死体だけが残っていた 。あんな傷のない死体を見たのは初めてだったからな」
「その女性だったんですよ。最近、見かける彼女は」
ライルはアルバートの方を振り向いた。
「もしかして、やつらと関係があるかもしれないということか?」
「気配は感じませんでしたが、気になるので調査をお願いしたいと思いまして……」
「自分でも調べられるだろう」
「すいません。最近、ライルさんと副業ばかりしていたもので、本業のこちらが疎かになっていて。 論文が溜まってるんですよね。暇をみて、僕も彼女を追ってみますので、お願いします」
アルバートはお願いするように手を合わせて言った。
「おい、こっちが本業だろ! まったく、今日の一針、明日の十針っていうからな。調べておくか。 最近、やけに静かだしな」
ライルの言葉に反応したのか、アルバートは不意に合わせていた手を下ろし、ライルを見た。
「ライルさん……」
「なんだ?」
「あまり、気を落とさないほうがいいですよ。ここに来ていたのも、あの少女のことが気になって ですよね? あの状況ではどうしようもなかったのかもしれません。やつらを退治してから、この 辺りで行方不明者は出なくなりましたし……」
「そうだな」
「では、僕はもう、そろそろ失礼しますね。次の講義も始まりそうですし……」
アルバートはライルの素っ気ない返事を聞いてか、そそくさと逃げるように消えていった。
確かに出なくなった
ここだけではなく、他の場所でも
そして、現れた女性……
やけに、静かになり過ぎではないのか?
アルバートはこの静けさに気づいて、俺に知らせてきたのか?
それとも、俺の考えすぎか
とにかく、このまま何も起こらなければそれでいい
ライルは一部分だけ、綺麗に生え揃った草花を見ながら、「行方不明者は出なくなった……」と言 ったアルバートの言葉を思い返していた。
――
首都ロドニーの北側に、木々に隠れるよう存在するフォリス国立大学。
そこの第三棟の5階にある神学部神学科研究室。
顔を埋めるように、机の上にうつ伏せになっていた頭をアルバートはゆっくりと起こした。
少し長く、幻影でいすぎましたかね?
そう思いつつ、まだすっきりしない頭を急激に覚ますため、両腕を天井に思い切り上げ、伸びを した。
そして、後ろにある大きな窓から町を眺めた。
ライルさんは、気づいていないかもしれませんが……
あの時、歪んだ空間から抜け出そうとしていたあの時、一瞬だけ強い光の力を感じました
十年ぐらい前に起きた奇怪な事件の時と同じように――
僕は胸騒ぎがして仕方ありません
ふと、大学全体に鳴り響く乾いた鐘の音がアルバートの耳に入る。
アルバートはベストのポケットから時計を取り出して見ると、針は三時を回っていた。
慌てて机の上に散らばっていた教材を掻き集め、次の講義に向かってアルバートは走っていった。