黒の浸透 現実(2)
シルビアには嘘であってほしいはずのマリスとクロードの死を、フォグ町の事件を、今は本当にあっ たことだと認めてもらいたいという複雑な感情が渦巻いていた。
二十分程、走ったのだろうか。
荒い息を整えるように周囲を見渡せば、装飾品やドレスで着飾った女性や、整った服を着込んだ男性 が目に付く。
並んでいる店や家々も、これまでシルビアが目にしてきたものとは違っていて、どれもが立派な造り をしていた。
その一角にマリーの家から見たときよりも、大分、大きく見える「白の要塞」を背にして、それは建っ ていた。
警察というのは国の組織ではあったが、シルビアの住んでいたフォグ町にもなかった通り、それ程、 民衆に定着したものではなかった。
そのためかシルビアは、周りの家々とは違い、重い雰囲気をかもし出しながら、ひっそりと建ってい る建物を前にして少し不安を覚えた。
「警察」と書かれた小さな鉄の看板を横目に、シルビアは目の前にある木のドアを開く。
中に広がっていたのは人、三人が立って並んだぐらいの幅を残して、木の策で仕切られた空間 に机が五つ程、規則正しく並び、その奥にはドアが一つあるという状態だった。
人は一人しか見当たらず、あとは皆、出払っているようだ。
「す……すみません。フォグという町で殺人が起きたという情報は入っていませんか?」
シルビアは柵に両手を突き、一人の短い金髪の警察官を覗き込むように声を震わせながら言った。
「殺人」という言葉に驚いたのか、目を丸くしてシルビアに尋ねられた警察官は近寄ってきた。
「殺人……ですか?」
「はい。私の両親と町の人たちが三日程前に十字架を持った男女三人組に殺されたんです!」
シルビアは一生懸命、訴えかけた。
「フォグ町?」
確認するように警官はそう尋ねると、部屋の向こうへ消えていった。
しばらくして戻ってきた警官は困惑した表情で首を振り言う。
「ここ一週間は殺人なんていう事件はどの町でも起きてませんよ。ましてや、フォグなんていう町は この国には存在しません。何か勘違いを為さっているのではないのですか?」
「本当なんですか? 本当に……フォグ町がこの国に存在しないんですか? 殺人事件は起きていな いんで……」
……そうだ、ラナ。ラナという町が近くにあったはず……
「じゃあ、ラナ町は知りませんか?」
「ラナですか? ラナなら知っていますよ。私は昔、そこに住んでいましたから」
「そのラナ町の近くに他の町はありませんでしたか?」
しつこいと言わんばかりの表情を浮かべ、警察官は言う。
「ありませんよ。ラナは木で囲まれた町でしてね。数キロ先も木や草ばかりですよ。あえて、近くの 町というならば、今居るこの町ですけどね。あの……。失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしい ですか?」
「シルビア……ヴァーチュデズです」
名前を聞くなり警察官は即答した。
「私どもでは協力できませんので、他を当たって貰えませんか?」
丁重に断ってはいるが、早く出て行けと言っているようだった。
シルビアは言葉を失った。
こんなこと、想定できるはずがない。
お父さんが死んだこと。お母さんが死んだこと。町の人たちが死んだこと。
フォグ町が存在しないこと。
それが事実だとするならば……
いや、新聞、噂、警察、そのどれもが事実だと物語っている。
認めたくはないけれど……
じゃあ、私って一体、何なの?
本当はどこで育ったというの?
分からない……何も。
シルビアは気づけば、警察を出てロドニーの町をふらふらと彷徨うように歩いていた。
来たときとは違う町の風景に、自分が迷っていることを悟っていたが、どうせ行く当ても、帰る 場所もないのだと思うとそんなことはどうでもよくなっていた。
赤く染まる空を呆然と立ち尽くして見ていると、何処かからシルビアを呼んでいる声がする。
「シルビア……」
有り得ない。この町には私の知り合いなんて誰もいないんだ。
もしかしたら、私を知っている人なんてこの世に誰もいないかもしれない。
「こら! シルビア・ヴァーチュテズ!」
!?
シルビアが声のする方を振り向くと、一人の女性が仁王立ちをしてこちらを見ていた。
女性に近づくと、怒っているかと思ったその顔は、以外にも心配そうな表情でシルビアを見て いることが分かった。
「マ……マリーさん」
シルビアは微かに聞こえる声で言った。
マリーはシルビアを見るなり、頭をくしゃくしゃに撫でながら言う。
「どうにも、心配でね。この忙しい時間に店を抜け出してきちゃったよ。今日はお客に助けてもらっ てばかりだ!」
「どうして? どうして、ここにマリーさんがいるんですか?」
「居ちゃ悪いかい? もしかしたら、ただ擦れ違っただけかもしれないじゃないか?」
マリーはシルビアを小ばかにしたように言った。
「……」
「ほっとけなかったんだよ! 怪我をして倒れていて、ようやく目覚めたと思ったら、急に警察に 向かって走っていっちゃって……。まあ、信用しきれない様子だったから、警察のことを教えたの はこの私だけどね。その様子じゃあ、いい結果は得られなかったようだ」
マリーはシルビアが下を向いたままで居るのを見て、言った。
「私の住んでいたフォグ町は存在しないって……。私がこれまで見てきた何もかもが嘘だったって ……」
シルビアは前を向きながら話してはいたが、その目は何処か遠くを見ていた。
不意に、体全体が暖かいものに包まれた感覚がした。
気づけば、マリーがシルビアをしっかりと抱きしめている。
「いいじゃないか。私の家に来れば……。私はちっとも面倒なんて思っちゃいないよ。むしろ大歓迎 だ。そして、少しずつ見つけ出せばいい。自分のことも、家族や町のことも……」
二十分程、走ったのだろうか。
荒い息を整えるように周囲を見渡せば、装飾品やドレスで着飾った女性や、整った服を着込んだ男性 が目に付く。
並んでいる店や家々も、これまでシルビアが目にしてきたものとは違っていて、どれもが立派な造り をしていた。
その一角にマリーの家から見たときよりも、大分、大きく見える「白の要塞」を背にして、それは建っ ていた。
警察というのは国の組織ではあったが、シルビアの住んでいたフォグ町にもなかった通り、それ程、 民衆に定着したものではなかった。
そのためかシルビアは、周りの家々とは違い、重い雰囲気をかもし出しながら、ひっそりと建ってい る建物を前にして少し不安を覚えた。
「警察」と書かれた小さな鉄の看板を横目に、シルビアは目の前にある木のドアを開く。
中に広がっていたのは人、三人が立って並んだぐらいの幅を残して、木の策で仕切られた空間 に机が五つ程、規則正しく並び、その奥にはドアが一つあるという状態だった。
人は一人しか見当たらず、あとは皆、出払っているようだ。
「す……すみません。フォグという町で殺人が起きたという情報は入っていませんか?」
シルビアは柵に両手を突き、一人の短い金髪の警察官を覗き込むように声を震わせながら言った。
「殺人」という言葉に驚いたのか、目を丸くしてシルビアに尋ねられた警察官は近寄ってきた。
「殺人……ですか?」
「はい。私の両親と町の人たちが三日程前に十字架を持った男女三人組に殺されたんです!」
シルビアは一生懸命、訴えかけた。
「フォグ町?」
確認するように警官はそう尋ねると、部屋の向こうへ消えていった。
しばらくして戻ってきた警官は困惑した表情で首を振り言う。
「ここ一週間は殺人なんていう事件はどの町でも起きてませんよ。ましてや、フォグなんていう町は この国には存在しません。何か勘違いを為さっているのではないのですか?」
「本当なんですか? 本当に……フォグ町がこの国に存在しないんですか? 殺人事件は起きていな いんで……」
……そうだ、ラナ。ラナという町が近くにあったはず……
「じゃあ、ラナ町は知りませんか?」
「ラナですか? ラナなら知っていますよ。私は昔、そこに住んでいましたから」
「そのラナ町の近くに他の町はありませんでしたか?」
しつこいと言わんばかりの表情を浮かべ、警察官は言う。
「ありませんよ。ラナは木で囲まれた町でしてね。数キロ先も木や草ばかりですよ。あえて、近くの 町というならば、今居るこの町ですけどね。あの……。失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしい ですか?」
「シルビア……ヴァーチュデズです」
名前を聞くなり警察官は即答した。
「私どもでは協力できませんので、他を当たって貰えませんか?」
丁重に断ってはいるが、早く出て行けと言っているようだった。
シルビアは言葉を失った。
こんなこと、想定できるはずがない。
お父さんが死んだこと。お母さんが死んだこと。町の人たちが死んだこと。
フォグ町が存在しないこと。
それが事実だとするならば……
いや、新聞、噂、警察、そのどれもが事実だと物語っている。
認めたくはないけれど……
じゃあ、私って一体、何なの?
本当はどこで育ったというの?
分からない……何も。
シルビアは気づけば、警察を出てロドニーの町をふらふらと彷徨うように歩いていた。
来たときとは違う町の風景に、自分が迷っていることを悟っていたが、どうせ行く当ても、帰る 場所もないのだと思うとそんなことはどうでもよくなっていた。
赤く染まる空を呆然と立ち尽くして見ていると、何処かからシルビアを呼んでいる声がする。
「シルビア……」
有り得ない。この町には私の知り合いなんて誰もいないんだ。
もしかしたら、私を知っている人なんてこの世に誰もいないかもしれない。
「こら! シルビア・ヴァーチュテズ!」
!?
シルビアが声のする方を振り向くと、一人の女性が仁王立ちをしてこちらを見ていた。
女性に近づくと、怒っているかと思ったその顔は、以外にも心配そうな表情でシルビアを見て いることが分かった。
「マ……マリーさん」
シルビアは微かに聞こえる声で言った。
マリーはシルビアを見るなり、頭をくしゃくしゃに撫でながら言う。
「どうにも、心配でね。この忙しい時間に店を抜け出してきちゃったよ。今日はお客に助けてもらっ てばかりだ!」
「どうして? どうして、ここにマリーさんがいるんですか?」
「居ちゃ悪いかい? もしかしたら、ただ擦れ違っただけかもしれないじゃないか?」
マリーはシルビアを小ばかにしたように言った。
「……」
「ほっとけなかったんだよ! 怪我をして倒れていて、ようやく目覚めたと思ったら、急に警察に 向かって走っていっちゃって……。まあ、信用しきれない様子だったから、警察のことを教えたの はこの私だけどね。その様子じゃあ、いい結果は得られなかったようだ」
マリーはシルビアが下を向いたままで居るのを見て、言った。
「私の住んでいたフォグ町は存在しないって……。私がこれまで見てきた何もかもが嘘だったって ……」
シルビアは前を向きながら話してはいたが、その目は何処か遠くを見ていた。
不意に、体全体が暖かいものに包まれた感覚がした。
気づけば、マリーがシルビアをしっかりと抱きしめている。
「いいじゃないか。私の家に来れば……。私はちっとも面倒なんて思っちゃいないよ。むしろ大歓迎 だ。そして、少しずつ見つけ出せばいい。自分のことも、家族や町のことも……」