彩影の彼方3

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「ロイ、大丈夫かな……」
放って来たということは話の途中か何かだったんだろう。
プロメーテウスはどうにも苦手だから、私にはそんなことは出来そうもないけど。
きっと、この地にいる他の神だって出来ないんじゃないだろうか。
「珍しいこともあるものねぇ」
前方から降って来た言葉と共に額に感じる軽い衝撃に目を向ければ、視界に女性の姿が入った。
金の美しい髪を後ろの高い位置で一つにまとめた彼女は、いつものようにその涼しい青色の瞳をまっすぐに向けていた。
「リべ……」
「ボーっとしてる」
そう言うなり、リベルタスは静止させるようにエマの額に付きだしていた人差し指を引っ込める。
そのまま指を自分の顎へと移動させれば、考えるように頭を少し傾けた。
「それはいつものことか……。でも、やっぱり珍しい。今が一応、昼って分かってる?」
「もちろん。昼ってことぐらい知ってる」
空はこんなにも明るい。
見上げた空に太陽が存在しないなんて思えないほどに。
「じゃぁ、どうして?」
リベルタスは胸ポケットから取り出した時計を確認するなり、顔を見合わせた。
「今は……って! 12時前!?」
「そんなに驚くほどでも……」
「驚くに決まってる! 今まで一度たりともパンドーラーは……特にエマは暗くなり始めてからしか外を出歩かないじゃない!」
引き気味のエマなどお構いなしに、捲し立てるリベルタス。
この光景を前に、通りかかった神々は”いつものことか”と一瞬、こちらに目を向けてはそそくさと通り過ぎていく。
彼女のおかげか辺りにはいつの間にか誰の姿も見えなくなっていた。
エマが居心地の悪さから解放され小さく安堵したのを知ってか知らずか不明だが。
未だに一人話し続け、自分の世界に浸っている彼女を前に、ここにも一人変わった神様がいたものだと、エマはふと思った。
神族にも上下関係はある。
簡単にいえば、二つ名をもつ者は貴族、持たない者は一般と言ったところ。
各々は更に、経験や能力で、上下が決められているらしい。
私が生活している屋敷を中心とした庭までの範囲がこの地での貴族の住まい、そして庭の先に見える柵の向こうで広がる家々が一般の者の住まいとなる。
もちろん目の前の彼女も貴族。
リベルタス、「自由」という二つ名をしっかりと持った――。
例えパンドーラーという役割を持っていようと、私は人であることに変わりはない。
役割で見られるより、一個人として見られたいと思う私にとっては、問題ないと言いたいがそうも言いきれない。
神族は敬うとか、慕う以外となると、差別しかないようだから。
”なぜ、この私が――”
パンドーラーとなってしばらく、私の世話係となった女性がいた。
元気で何時も気遣ってくれる彼女。
でも、何処かから聞こえてくる声が彼女の心の声だと分かった時は絶望したものだ。
早々に世話係は不要と訴えたのを思い出す。
きっと、これもパンドーラーの能力の一つだったのかもしれないが、あれ以来、同じような現象はない。
でも、一度気づいてしまったことからは早々抜け出せないもので。
世話係となった彼女はその役職のせいか、内に隠していた本性も、他の者となると明らさまだから、それも起因になっているのかもしれない。
そんな時だった。
『あなた、パンドーラーね? あなたも観察対象だから』
リベルタスはエマの前に立つと、表情を崩すことなく真顔のまま、そう告げたのだ。
どういう意味かは分からないにしても、不快な気持を抱いたことは事実。
初対面の者にそれだけ告げて、何故かその反応を記録しながら、去って行ったのだから。
彼女の姿は以前から目にしていて、仲間たちの中でも、変わってると話題に上がったことさえあった。
袋を手に外気を採取しているのか振り回していたり、ルーペを片手に地を這っていたりと、他の神族には見られない行動をする彼女の姿が屋敷の窓越しからちょくちょく見えていた。
そんな彼女とも観察対象だからか良く接するようになり、分かったことがある。
ここに来る前に彼女が住んでいた場所も、この地のように太陽があるかのような昼や星が見えるような夜、吹く風から、草木等、自然と呼ばれるものは神族の各々が持つ特殊能力で作りだされていたという。
嵐や雨さえも、神族の能力によるものだった。
しかし、この天候に関して不思議なことが何時の頃からか起こり始めたのだ。
神の力の関与がない天候の変化。
時折だったこの現象も、日に日に増え、遂には神族の命を奪う事にまで発展した。
時同じくして、出現し始めたこの地はこの謎の現象の増加と共に肥大化していく。
とはいっても、彼女の地からこの地は遠く離れ過ぎて、そのことに気づく者は辺りではいなかったそうだ。
その頃、この地へ行く一般公募が始まり、貴族だったせいか除外されていた彼女は自ら名乗り出て、何とかこの地への切符を手に入れたのだそう。
この地の事を知りたい。
彼女を突き動かしているのは好奇心と探求心。
そして、小さな使命感のようなものなのかもしれない。
そう、彼女は他の者と違って目的があって、この地を踏んだのだ。
彼女はいわゆる学者派。
それも、探求心旺盛な。
「自由」を背負っているのだから、誰も彼女を止められないだろう。
「ん~。これもメモるべき? ……迷ったら、メモね! 後で整理すれば「これはメモらなくていいから!」」
ペンを取り出し、書きだそうとしたリベルタスの手をエマは制す。
なぜと疑問の表情のリベルタスにエマは薄く笑みをのせた。
「ロイとの約束。今日は外で本を読もうってね」
「ふ~ん――。やっぱり、ロイとはそういう仲かぁ」
「えっ? ちが……」
ペンとメモ帳をしっかりとしまいこんだリベルタスはエマの両手を包み込むように握りしめる。
「いいのいいの! 私は応援してるから」
なぜかそこには今迄見たことのない極上の笑みが浮かんでいるように見えた。
「とっ……とにかく! 思考ある者の行動なんて、多寡が知れてるじゃない。気が向いたから、いつもと違う行動をしている。ただそれだけ。なんでもパターン化しようなんて無理があるんだから」
「でもねぇ……。そんな些細なことの積み重ねが――「リべ? 」」
「それにしても、何処か行くの?」
リベルタスの装いはいつもと違ってジャケットにズボン。
まるで男性のような格好は今まで見たことがなかった。
突然聞こえた「ギャァ―」という叫びのような声に、その背にある大きく膨らんだリュックに目を向ければ、大きな目をした見たこともない獣の頭がリュックからはみ出していた。
そこは突っ込まないでおこうと思いながら、もう一度、リベルタスの顔を覗きこめば、「あぁ……」とついさっきの話を気にする様子もない。
そのことにエマは安堵するも、リベルタスの口から出た次の言葉に違った意味で心がざわついた。
「これからサイレント・フォレストに行くの」
「えっ? でも、あそこは調査団しか……」
あそこは立ち入り禁止区域。
行きたいと思う者などいないと思うが、一応そうなっている。
特にパンドーラーは許可を得られることはないだろう。
制限もなかった頃、行ったパンドーラーはすぐに消えたから。
「この私を止められるとでも?」
ポンっと自分の胸を握り締めた右手で叩けば、リベルタスの口はニヤリと弧を描くように上がっていた。
「いや……別に……」
「エマなら、分かってくれると思った。あそこを見ずして、この地の事が分かるはずもないの。実は――」
そう言って、リベルタスが耳打ちで話してくれたことを要約すればこうだ。
プロメーテウスからの許可は下りていないが、調査団長にしつこく迫った所、彼女の熱心さに折れ、調査団員に潜り込んでいくことで了承を得たとのこと。
何時も奇怪な行動をとる彼女が姿を消せば、気付かないはずもないのに。
「リベルタス――」
男の声が響く。
声の先に顔を向けたリベルタスは僅かに頷くと、再びエマにに向き直った。
「じゃぁ、行ってくるわね。エマの分もしっかりと記録してくる」
遠ざかっていくリベルタスの姿は男と同じ装いのせいか、いつの間にか被った調査団の帽子のせいか、一団員に見えた。




幹から枝・葉、全てが灰色の木は緑が広がる庭で一本しかない。
それはサイレント・フォレストに広がる木の一本。
パンドーラーの一人からサイレント・フォレストに行った時の話しを聞いた私を含めた他のパンドーラーがこの庭へ移植することを懇願したのだ。
エマは眩しさに目を細めた。
人工ならぬ、神技とも言うべきか。
空へ向かう木の枝の隙間から漏れる光は、まるで太陽のように輝いている。
どれもこれもが神の力によるもので、私たちの概念上、自然と考えるものはこの灰色に染まる木だけだなんて、違和感しか浮かばない。
それにしても、ロイは何が言いたかったんだろう?
庭は広いが、木が生い茂っている場所なんてない。
何か変わった所があるなら、ここに来るまでに気づいていいはず。
”ねぇ――”
「えっ?」
突然聞こえた、声の先を見れば、枝の入り乱れた部分に一つ実が出来ていた。
木同様、灰色を帯びた実はカタカタと小刻みに揺れている。
風などあるはずがないが、周りの葉を見てしまうのは、この地に来るまでの体の記憶によるものか。
それに相反するように、この地にいる長さのせいか、普通なら有り得ない現象も、なぜか全て受け入れられている自分がいる。
今、恐怖心よりも何か暖かいような、眩しいような感情がエマの中を渦巻いていた。
”ねぇ、あなたの願いは何?”
「っ!?」
シュルッ――
シュルシュル――
もう一度、同じ声が聞こえた瞬間、背にしていた木の幹から枝が伸び、エマの体を包み込むように呑み込んでいった。




「アレクサンドラーー!!」
怒号が響く。
ハァハァッ――
馬の荒い息に混じる様に頭上の男の乱れた息が聞こえた。
腰に回る男の腕に安心感を感じずつも、募る不安は拭えない。
緑ある木々を上下に小刻みに揺れながら、通り過ぎていく。
「ごめん……」
頭上で小さく呟いた男は、片手で握っていた手綱を私の手に握らせた。
心臓は早鐘のように響いていた。
即座に振り向き男の顔を見上げれば、顔面蒼白。
彼の胸からは血が滲みでている。
「アレク……」
「ごめ……っ約束、守れそうもなくなった」
「アレク、嫌よ。私……」
血を口から吐きながら、薄ら笑みを浮かべた男はやさしく私の顔を前へと向かせる。
「前を見て……。僕のせいで君まで失いたくない――」
次第に背に掛る重みが大きくなる。
「ずっと、一緒に居たかった。僕は君の事……」
「アレク……アレクーー!!」
悲痛な叫びが流れゆく景色を木霊し、木々に隠れていた鳥たちがバサバサと一斉に上空へ飛び立った。
視界は涙で埋もれて、もう見えない。

…………
……………………


「――ちゃん! 起きようよ!!」
揺すられる体。
思考が定まらないまま、目を擦って起きあがれば、大きな目が愛らしい少年・少女が少し困った顔をして見つめていた。
「あっ起きた!」
「遅いぞ! 早く!!」
途端に笑顔になった彼らは、私の手を引くや、何処かへ向かった。

「神父様~~!!」
私の手を引く少年の声に振り返った男は黒い礼服を身にまとい、胸には十字架をぶら下げていた。
「遅いですよ。幸せの門出を皆で送ってあげないと、ポール君だって、心から出発できません」
神父は優しく笑みを湛え、隣に立つ夫婦らしい男女の前に立つ少年の背を押す。
躊躇するように一歩前へ出た少年は少し怒った顔を私に向けた。
「次、合うときは僕……っ行ってくる! 」
一言そう叫び、グッと手を握り締めた少年は夫婦の手を引き、私の横を通り過ぎていった。

――――
―――

ヒックッ――
苦しくって、悲しくて、ただ涙が止まらない。
「人は皆、死に向かって生きているのです。ポール君。――さんが泣き止まないから、悲しくてたまらないでしょうね」
教会の隅で蹲る私に合わせるように、しゃがみこんだ神父は私の頭に手を載せた。
「でも、泣きたい時は泣けばいい。我慢する方がきつ過ぎる――」
神父がどんな顔をしていたのか私には分からない。


…………
……………………


ドゴンッ!!

「危ない!!」
飛行機が低空飛行する音と共に爆発音が響いた。
地面が揺れる。
背中に感じる激痛と共に覆いかぶさっている男と目が合った。
「――! しっ……かり」
私の名を呼ぶ彼もまた、苦痛に顔が歪む。
「彬……私、あ……たをずっと待ってた」
口に血の味が充満する。
手を伸ばし、そっと触れた彼の頬は冷たい。
「俺はお前とずっと一緒に……。お……はお前を――」
瞼が重くて、何もかもが消えて、闇に飲まれる。
もう、あなたさえ見えない。

…………
……………………

穏やかな風が通り、さわさわと木が揺れる。
パラパラッ――
ページがめくれ、そっと目を開ければ、影を感じた。
何だか重い頭にボーッとしていれば、男の声が響いた。
「何をしている?」
見上げれば、一瞬見開いた男の顔が視界に入る。
「待ってた……」
「何を?」
「人……」
誰だろう?
そういえば、ここは?
一面を覆う緑。
生い茂る草原を風が通り抜ける。
蝶が舞い、赤・青・黄、様々な色の花が点々と咲き乱れていた。

『僕は君の事――』
『次、合うときは僕――』
『お……はお前を――』

何処かから、聞こえた声は渦を巻き、頬を擦めた。
再び見上げた先で、男の前に垂れた黒髪が揺れる。
困惑の色が垣間見え、頬に彼の手が触れたのは一瞬で、躊躇するように引いた手を私の前へ差し出した。
「まあ、いい。俺はお前を迎えに来た――」
私は彼の手を迷いなく、取った。


”時間よ――”


「エマーーー!!」
危機迫る声と共に、大きく体が揺れた。
背中から体に回された強く暖かい腕、伝わる激しい心音。
「行くな……」
「ロ……イ?」
バサリッ――。
同時に本が落ちる音がした。
手を持ち上げれば、透けていて、既に指は見えない。
その先には一人の少女。
”ねぇ――”
「俺はエマを愛してるんだ! もう、こんなことで後悔なんてしたくない。待ってたのは……探してたのは俺の方なんだ!!」
”あなたの願いは――何?”
体が反転したと思ったら、視界一杯にロイの顔があった。
唇から伝わる温もりに、さっきまで見ていたものが鮮明になる。
触れるだけのやさしい口付けにエマの目から涙が溢れた。
生きたい――あなたと。
あの森が、この世界が彩ったその先をあなたと見ていたい。
”そう――”
笑みを含んだ、少女の声が聞こえ、その少女の姿は掠れ消えていく。
エマはロイの背に腕を回し、彼の服をギュッと掴んだ。

風が吹き、庭に立つ灰色の木がさわさわと揺れる。
虹色の風が木を染めるように流れ、一つだけ実った実を赤く染めた。

サイレント・フォレストでは一人の人が涙を流し、一瞬、灰色の地を虹色に染めた。
その場に居合わせたリベルタスはひたすら、記録を書き留める。
だが、その事が知れ渡るのはまだ先の話。

そして、あの図書室では――。
円状に設計された本棚の最上部で一冊、本が増えていた。
半分まで記されたその本のタイトルは”彩影の彼方――”


-end-
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